ばあちゃん(私の母親)が87歳になりました。
数えで88の米寿です。
米寿のお祝いはまた今度にして、お決まりのコスチュームで誕生日のお祝いをしました。
昨年末の風邪による衰弱で2週間ほど入院して以降、認知症が進んだ感が否めないものの、取り敢えずは元気に休まずディサービスに通っています。
たぶん、私のことも息子とはよくわかっていないと思います💦
それでも、ひ孫のことは気になるみたいでひ孫がいるときといない時では様子が違います。
ひ孫たちがいると、笑顔が出たりしきりに子どもたちを見ようとします。
母は、3歳の頃ポリオを発症し片足に障害が残りました。
体育の授業はいつも見学していたそうで、自分が障碍者であることを卑下して生きてきました。
座ったままできる仕事として洋裁の道に進みました。
結婚して私たちを産み育てましたが、運動会や遠足はいつも父親が参加していました。
結婚後は、自宅で洋裁教室を開いていました。
大きな洋裁台とミシンが3台ずつ並ぶ部屋で毎日たくさんの生徒さんに洋裁を教えていました。
会社員だった父親と共に決して裕福とは言えない暮らしの中で私たちを育ててくれました。
30代の頃、弟を出産した直後(今思えば自律神経失調症?からの鬱状態)でほぼ寝たきりとなり、買い物にも行けない状態が4年ほど続きました。
「学校から帰った時に、もしお母さんが死んでいたら、ここに電話しろ」と父親から会社の電話番号のメモを渡されました。(きっと自殺を危惧していたんだと思います)
幸いにも電話をかけるようなことは起こらず、少しずつ元気になっていきました。
そんなこんなで紆余曲折・・苦労しながら家事を完ぺきにこなし私たちを育ててくれました。
私たちが結婚し同居してからは、足を引きずりながら子私たちの子供たちだけでなく、弟の子の面倒を見てくれました。こどもたちは文字通り「ばあちゃん子」に。
長男の子どもたちに囲まれて笑顔が絶えない姿を見ていると、私も「これで良かった」と自然と笑顔になれました。
祖父(ばあちゃんの父親)が亡くなる前に「お母ちゃんのことを頼む」と・・
祖母は母が二十歳の頃に他界しているので、障害を持つ娘の行く末が最後まで気がかりだったのでしょう。
そのことが、「とことん母親に付き合っていこう」と思う親父の原点です。
その役目を果たすために、祖父に守られている気がしてなりません。
親父が他界してからも苦労してきた分、少しでも幸せを感じてくれたらと思うのです。
そんな私の思いを察してか、妻も息子もお嫁ちゃんもばあちゃんのことをとても気遣ってくれます。
孫たちも車いすのばあちゃんの姿にたくさんのことを学んでいます。
ばあちゃんのおむつ交換をする私をじっと見ています。
そんな介護の日々ですが、お陰様でノンストレスで過ごせている親父です。
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数えで88の米寿です。
米寿のお祝いはまた今度にして、お決まりのコスチュームで誕生日のお祝いをしました。
年寄りをおもちゃにすな!・・てか・・
みんなでハッピーバースデーの歌を唄っている間、黙々とケーキを貪ってました。昨年末の風邪による衰弱で2週間ほど入院して以降、認知症が進んだ感が否めないものの、取り敢えずは元気に休まずディサービスに通っています。
たぶん、私のことも息子とはよくわかっていないと思います💦
それでも、ひ孫のことは気になるみたいでひ孫がいるときといない時では様子が違います。
ひ孫たちがいると、笑顔が出たりしきりに子どもたちを見ようとします。
母は、3歳の頃ポリオを発症し片足に障害が残りました。
体育の授業はいつも見学していたそうで、自分が障碍者であることを卑下して生きてきました。
座ったままできる仕事として洋裁の道に進みました。
結婚して私たちを産み育てましたが、運動会や遠足はいつも父親が参加していました。
結婚後は、自宅で洋裁教室を開いていました。
大きな洋裁台とミシンが3台ずつ並ぶ部屋で毎日たくさんの生徒さんに洋裁を教えていました。
会社員だった父親と共に決して裕福とは言えない暮らしの中で私たちを育ててくれました。
30代の頃、弟を出産した直後(今思えば自律神経失調症?からの鬱状態)でほぼ寝たきりとなり、買い物にも行けない状態が4年ほど続きました。
「学校から帰った時に、もしお母さんが死んでいたら、ここに電話しろ」と父親から会社の電話番号のメモを渡されました。(きっと自殺を危惧していたんだと思います)
幸いにも電話をかけるようなことは起こらず、少しずつ元気になっていきました。
そんなこんなで紆余曲折・・苦労しながら家事を完ぺきにこなし私たちを育ててくれました。
私たちが結婚し同居してからは、足を引きずりながら子私たちの子供たちだけでなく、弟の子の面倒を見てくれました。こどもたちは文字通り「ばあちゃん子」に。
長男の子どもたちに囲まれて笑顔が絶えない姿を見ていると、私も「これで良かった」と自然と笑顔になれました。
祖父(ばあちゃんの父親)が亡くなる前に「お母ちゃんのことを頼む」と・・
祖母は母が二十歳の頃に他界しているので、障害を持つ娘の行く末が最後まで気がかりだったのでしょう。
そのことが、「とことん母親に付き合っていこう」と思う親父の原点です。
その役目を果たすために、祖父に守られている気がしてなりません。
親父が他界してからも苦労してきた分、少しでも幸せを感じてくれたらと思うのです。
そんな私の思いを察してか、妻も息子もお嫁ちゃんもばあちゃんのことをとても気遣ってくれます。
孫たちも車いすのばあちゃんの姿にたくさんのことを学んでいます。
ばあちゃんのおむつ交換をする私をじっと見ています。
そんな介護の日々ですが、お陰様でノンストレスで過ごせている親父です。
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コメント
コメント一覧 (2)
親あっての自分と言うことを再認識しました。
薪割りおやじ
がしました
ありがとうございます。
薪割りおやじ
がしました